阪神・淡路大震災体験談①
⬛️はじめに
あれから25年経った。この震災体験は年々薄れていく。多感な時期であった中3〜高校にかけて震災で荒れ果て立ち上がろうとする神戸の街で過ごした。その当時は感じもしなかった事が今になって甦ってきました。最近見た新長田周辺は自分の知っている神戸の街とは別世界のように映りました。ここまで頑張って立ち上ったんだって感じました。一回死んだ神戸がここまで復興したのはきっと残されたここに住む人が助け合い、神戸以外に住む人からの助けをもらい、少しずつ少しずつ一歩一歩、歩んだ結果が今の神戸の風景だと思います。
思い出せる範囲で今さらやけど残しておきます。自分の育った神戸を甦らせてくれた多くの人に感謝を込めて。拙い文書表現力ですが‥。
あと、自分は厳密に言えば被災者ではないと思います。震災によって失ったり、傷ついたりしていませんし、自分よりも苦労された方は大勢います。ただその時期に神戸に住んでただけです。たいした経験してませんけど側で見て感じた事や薄れゆく記憶を記したいと思います。
⬛️阪神・淡路大震災の体験談①
私は1995年1月17日当時、中学校3年生でした。当時受験生でAM3時まで勉強していました。(勉強というよりANN福山雅治聴いてた)
そこからうとうととベットに潜り込んだ。
目を閉じて寝ていった。
「ゴォォォォォ」っという音。夢の中で聞こえる。その瞬間目の前の物が浮き上がるような縦揺れ、動ける訳の無い揺れ。家がグルグル回っているような感覚が暫く続きました。揺れを感じながらこれは夢ではなく現実に起こっている大きな地震である事に少しづつ気づく。グネグネ暴れる電球。今にも割れそうなくらいの窓の震え、、頭が真っ白で恐怖すら感じない。
揺れが収まった。部屋の物は散乱‥。本棚も机もひっくり返っていた。もちろん電気もつかないまだ冬の朝6時は暗く何も見えない。
日が昇りはじめ部屋が何物かにひっくり返されたような状態が明らかになる。家は潰れていない、、生きている、、、そこではじめとてつもない恐怖に襲われた。
家族はオカンも弟も怪我なく無事。ラジオもどこにあるか分からないので現状を掴めない。
時あり起こる余震で恐怖と不安に襲われる。
早朝から仕事をしているオトンの心配‥。もちろん電話も繋がらない。携帯が無い時代なので連絡なんてとりようが無い。帰りを待つしか無い。
時計が8時になった時、電気が復旧。テレビをつけた瞬間、テレビの映像を見て唖然としてしまう。
阪神高速が倒れている映像。火災が発生している長田の街。崩れているビル。
変わり果てた神戸の街。
ヘリからの映像は現実見の無い作り物のように見えてしまう。しかしこれが現実。
家が崩れていないのが奇跡のように感じた。
続く